不登校 問題対策案編2、貧乏人から救済する選別

 担任が3、40人近くの生徒(の問題)を全てカバーするのは不可能である。だから少人数制への移行、あるいは副担任制を取るように動き出している。 教壇の前に立つ教師が3、40人近くの生徒全ての「学力向上」のための授業をするのは不可能である。だから習熟度別クラス分けを取るように動き出している。個別指導や家庭教師の需要増加はその流れの反映だ。 不登校問題についても同様の流れで対処するべきだ。個別な事例に、適切な対処をすべし(米国流に主にそして気軽に薬を使え)と前回述べた。今回述べるのは「選民思想」の導入である。
 もちろんわざと過激な言葉を用いたが、要するに薬物療法は個別・具体的に、必要とする全ての不登校生徒へ適用する。だがこれとは別に、カウンセラーや教師が関わる時間を多くする生徒、政府の支出額を多くする生徒を「選民」すべし、ということである。その基準とは一体何か。貧富だ。前述した「習熟度別」ではないが、貧しい生徒を重点的に(薬でなく人間で)サポートするのだ。その理由は特に説明する必要は無い、とあなたは考えているだろう。「弱者を優先的にサポートするのは当然だ」理論を使って学者は世間を見たような気になる by中島みゆき。 違うのだ、問題はもっと深く、複雑性を持っているのだ。
 あなたは新聞の広告欄に高認(大検)資格取得者が難関大学に合格しました!という記事を見つけたことはないだろうか。もし無くともヤンキー先生の母校であり教鞭をふるっていた北星学園余市高等学校は知っているだろう。http://www.hokusei-y-h.ed.jp/expense.htmlこのサイトを見ればわかるが学費は年間約100万円である。予備校に通おうが、そういった専門の高校に通おうが、貧しい家庭にはそれを支払う能力が無い。つまり一生中卒のままである(高認は「程度」と名の付くとおり、高卒ではなく、企業でも高卒と同等に評価されていないとwikipediaにある。つまり大学か専門学校に行かねば彼らは中卒のままなのだ)。親・教師がよく言う「将来のために勉強しなさい」という段階の前に「貧乏な家柄で将来生きていくためには学校に行きなさい」という段階なのだ。
 以前2ちゃんねるで「中卒から弁護士になった大平光代の『だから、あなたも生きぬいて』はフィクションだと思っている」という書き込みを見た。とても興味深かったので質問してみると「彼女は親戚のおじさんの援助で全ての時間を勉強に費やすことができた。これは結局のところシンデレラストーリーであり彼女の発する『だから、あなたも〜』という言葉には説得力はない」と答えた(まあ一応ノンフィクションじゃんw)。中卒が生きる為に金を稼ぎながら(それは大卒や高卒とは拘束時間に雲泥の差がある)同時に勉強をやるなどほぼ不可能な話なのだ。結果「お金」という白馬の王子様以外、彼らが階級を上げることはできない、生きることはできない。
 だから再チャレンジの可能な上流〜中流の家庭の不登校児は涙を呑んでもらって、下流不登校児に人的・金銭的サポートを集中すべきなのだ。
  

 朝早くからおはよう。今からとあるテーマパークに家族と行って来ますw 全然乗り気じゃねんだけどさw