少年が口先だけでなく本気で人を殺そうと思うのは当然のことです ver.1.2

光市の事件で死刑判決が出たり、岡山の事件があったり、最近もまた少年の殺人報道が過熱してるが、第二次性徴が始まったころからアイデンティティクライシスに陥って、それから脱出するまでの間に「人を殺したい、社会を壊したい」と「本気で」思うことは至極当然です。
 Z会の今月号の冊子にある、ブックセレクションに春日武彦氏の「17歳という病」という本が載っているのだけど、まあ基本14から18ぐらいまではそういうアイデンティティクライシスに陥る時期だし、人によってはそれが20代になっても継続していく。背景に心の闇をいくら読み解こうとしようが、いくら不幸な出来事にさらされていようが、このアイデンティティの危機が根本的原因であるのには変わりがないと思っております。
 岡山の事件も確かに同情は出来るが、学歴のレールから外れても、現に日本だけでも何千万という人々がそれでも一生賢明生きているわけだ。生きていけているわけだ。「大学進学」を絶対視してしまったあまり、はしごを外され、アイデンティの崩壊、自暴自棄、そして殺人へと繋がった。2ちゃんねらーが言うほど高卒も悪い奴じゃないのだ。DQNも悪い奴じゃないのだ。デリヘル嬢も悪い奴じゃないのだ。世間にまみれ、汚れる、しだいに適応していく、自分の持ってた価値観の小ささに気付く、青かった自分を笑えるようにまでなる、ここでようやく「精神薄弱からの脱皮」「精神年齢の成人化達成」になるのだ。宮台真司が円光少女を支持した理由がそこだ。
 まあこれに対する批判の記事(つまり、オウムでも革命家でも右翼でも、自らの主義の名の下に犯罪(殺人は許されないな、確かに。殺人以外だ)を犯す人々を肯定する記事だ)は今度書くとして、バトルトークラジオアクセスの宮崎哲弥の回を踏まえて、青年期に移行する前段階である思春期の少年の心理を探ってみよう。
 (続く)

 もう勉強漬けです。そしてストレスもあまりないのでブログは、はかどりません