死刑存続派の宮崎哲弥が今回の光市の事件で、加害者の少年に同情した理由とは ver.0.5

前回書いた「少年が口先だけでなく本気で人を殺そうと思うのは当然のことです ver.1.2」の続きとして、書いてみます。前回の記事をまずは見てください。

宮崎哲弥とは何者なのかをまずwikipediaを用いて調べてみる。来歴の欄に

シモーヌ・ヴェイユの影響を受け、中学卒業後しばらく社会人生活を送る。今の雰囲気からは考えられないが、当時を本人は「高校までは札付きの不良だった」と語っており、ナイフを携帯し、深夜徘徊していた。そのような素行のため、親族が「このままでは犯罪者になるのではないか」と恐れ、精神病院に入れられそうになったと述懐したことがある。(「アクセス」)」

とある。この来歴を、名前は失念したが有名な評論家が指摘した「仕事上都合が良いから評論家や批評家は不良であるということをアピールしたがる、そして福田和也が保守を標榜している理由もそれで理解できる」という(優れた)分析によって回収できるのであろうか?いや、そうは思わない。オウム関連の朝生で、彼は「僕は若い時死ぬのがとても怖かったですよ。だから宗教に走りました」みたいなことを言ったのだ。この過去の来歴とその発言を照らし合わせてみるに、彼は思春期に並々ならぬ感受性の鋭さを持っていたことであろう。
シスタープリンセスとかいうゲームでは感受性のパラメーターが高すぎると不良に走ってしまうらしい。これを聞いて僕は「なるほど!」と一人で感動したものだ。思春期の感受性の鋭さがどんなもので、生活や態度にどんな影響を与えるか、それはもう体験した人間にしかわからない、と述べるしかない。このケースでは、わかるやつにはわかる、という理論もへったくれもないことを言うしかないのだ。そして私も非常に多感な思春期を過ごしてきた「わかる」人間だ。
ちなみにサカキバラセイトに「彼は自分だ」と言った大槻ケンヂ、「ロックがなかったら俺は殺人者になっていた」といった有名なロッカー。彼らはみな「わかる」側の人間である。
「わかる」やつらはみな学校で社会で疎外されてきた。彼らが帰属できる場所は、『昔』は「不良」というものがあって、多かれ少なかれそこに属していたら社会に対して安全であった。そこにも帰属できないものたちは先に述べたように創作活動にいそしんだ。音楽や小説、絵画だ。だがそれらには興味と才能が必要不可欠である。その興味、才能、能力が無いものは一体どうすればいいのだろうか?つまりそこからもあぶれた人間達のことだ。
会社でリストラされた中年が自殺をするのだ。ましてや少年達がどこにも帰属せずに正気を保てるはずがない。そう、ここで大衆の言う「悪魔と呼ばれた少年」の誕生である。凶悪犯罪を犯す少年の作り方だ。


(個人的な話)志望校を早稲田から他へ変えました。色んな未来へさようならしなくちゃならないね(泣)