個人的な話 自分語りしま〜〜〜〜〜す

 個人的に無料の出会い系じゃあ、ご近所の淫乱奥様wなんて決していやしない、と気付いた(オソッ!)。有料だったらもしかしたらあるかもしれないが、金まで払ってやるつもりはない。       さっきまでカラオケに行ってました「ヒトカラ」です。ここ数日間全然勉強もせずに前に書いた某チャット等に入り浸ってたんだけどさ、やっぱり声を発することはコミュニケーションでは最重要なんだよな。スカイプとかボイチャとかはそういう意味で最高のツールだと思うよ。でも金ないし、設定めんどそうだし、そこまでしてやりたくねえし。
 で、もう諦めた出会いとかチャットとか。もうURLもお気に入りから消して目の届かないようにしたし、まあ週1、2時間ぐらいのペースならやるやもしれないけどさあ。でもねぇ、たとえチャットだとしてもそれなりにコミュニケーションを磨けたり、人生経験を積めたりはできたよ。もう勉強しなきゃいけない時期が来たからそういうのはちゃんとルールを決めて制限して、勉強にうちこもうと思うんだ。そういう気分にならなきゃいけんのだ。だってチャットは逆にどんどん病んでくよ。話の中心人物の役を巡って、イニシアティブの奪い合いに陥るし、俺みたいな若造が入ると、年のコンプレックスからくると思うんだけど、イヤミったらしく嫌悪丸出しにしてくるジジイがいるし。そのジジイチャットのやつらにおごったりしてるんだよ、アホらしいだろ?どうせそうでもしなきゃ女は誰も寄ってこないんだよ。しかも本当に世間で言う成功してる人ってチャットという狭く、回りくどいツールを使わなくても、出会いの場なんて色々あると思うんだ。どうせくずみたいなやつなんだろうぜ、パッとしない。年取ってみると、多分俺もそうなるだろうけどさw
 色々頭の中で文章化したいことがあって、それは今までメモ帳なんかに書いてたけど、昨日言ったみたく、ビルの建設みたく少しずつブログ上で固めていくって形にしようと思う。だから今日は結構な数の記事になると思うけど、更新する際には、元の記事は消すから、記事の乱立ということではないよ。それとね、なんでこういう人文学的なことを勉強せずに書いているかって言うと、俺は大学で法、政治を学びたいんだ。だから、大学中に確かにそれと共存はできると思うけど、宇野の言う「文学の問題」は早めに言語化してスッキリしたいんだ。だから浪人中にこうやって拙いけど書いているわけだ。まあいいや、ほんとに。(かつて俺が書いてた)メンヘルブログの自分語りに近づいているぞw
 「誰か僕に(実際に声を発しあう関係で)構ってよ!」っていうシンジ君みたいな衝動がわきあがってるんだよ。なんでだろうね、ずーっとニコニコ動画とかを見たりしてたらそういう気にはならないんだけど、勉強してたら、ふと、「大学行くのやめてフリーターになろうかな」とか「人生これでいいのか?」とか思ってしまって、おかしくなるんだ。だから息抜きは大事。だけど繰り返すけどやっぱチャットは怖いね、声を発しないからストレスが逆に蓄積されていくんだ。しかも最中にはそれに気付かない。
 まあいいや。じゃあ色々記事の元、パン作りで言う生地を練る(きじときじって上手いこと言ってんじゃねえw)作業に移りますわ。それと、以前書いた物も、こうやってどんどん更新したりするかもしれないので注意してね。

thank you ,第二次惑星開発委員会

 メンヘラーで暗い作品を摂取すること、そういうキャラを演じることに酔ってた俺を救ってくれたのは、去年の秋に偶然みつけたこのサイトだ。「永遠の仔」を気持ち悪いとかなんとか評したのはかの浅田彰なんだけど、それは今まで全然評論に興味の無かった、そしてネットが主で本を読まない俺達若者にとって決して触れることのないものだった。あと心理学化する社会を書いた、斎藤環だったけか。それのコピペみたいなもんかもしれないけど、俺たち若い世代に届く媒体でファッションメンヘラーを批判して気持ち悪さに気付かせてくれた事に俺は言葉で言い表せないほど感謝している。それは多分、俺が浪人ではあるが、高校というものから卒業しかかっていて、地方特有の保守的、閉鎖的で息苦しい地縁関係から抜け出せた、というのも大幅に関係していると思う。

thank you,宮台真司、他多数 『右翼なんて怖くない!』

 俺は前述したように去年の秋、第二次惑星開発委員会(と、冬に2ちゃんのモ娘。狼板)に出会うまではファッションメンヘラであり、2ちゃんのVIPやニュー速民だった。俺はオヤジの影響でずっと左翼的な思考を持ってた。だから去年の秋までは重度の2ちゃんねらーであり、かつ左翼である俺のアイデンティティーはメチャクチャな状態だった。それがファッションメンヘラに関係したのかもしれない。だが、第二次惑星開発委員会に出会って、俺はマリア様が現れて、賢いお言葉を掛けてくれた(let it beかよw)、即ち神の啓蒙を受けた。それはすごいショックだった。ネットウヨクをマッピング化し小馬鹿にしてくれるそのサイトは、ネトウヨがわらわら集まって炎上を起こすから左翼的なサイトは危ないんじゃねえの?と勝手に恐怖してた俺を正常に戻してくれた。でも、最終的に右翼の恐怖を取り除いてくれたのは、やはり、去年の年末のM2トークラジオで宮台真司が「アベ政権の崩壊がそのままネット右翼の限界を象徴しました」的な言葉を発してくれたおかげだ。他、雨宮カリンとか色々いるんだけど、俺が一番尊敬する宮台真司がそう言ってくれてくれたのが、一番だ。これから自民党議席を4分の3とろうが、軍国主義化しようが、核兵器を持とうが、俺は右翼を恐怖に思わないし、例え2ちゃんねらーによって世界中に顔を晒されようが左翼的抗議行動を行えるし、胸を張って左翼(リベラル)を貫けるようになった。俺の世代で、政治関心の物心がついてから左翼はずっと馬鹿にされてきたから、この出来事は本当に脳内革命みたいなもんだった。だからもう俺は自由に言える「右翼なんて怖くない!」

世間でゼロ年代が始まった年、2002年について 

 coccoが消えた2001年。オレンジレンジがブレークした2002年。
 それらは世代の空気に一番敏感であろう、歌手達の歌詞からも見出せる。ミスチルの「Any」スパルタローカルズの「ウララ」「ぼくのポッパー」(スパルタの方は2004年だが、一般人が克服するに至った道程を具体的に描いている)

(注)俺の言うゼロ年代とは宇野常寛が使う意味とは違うかもしれない。俺の場合セカイ系克服じゃなくて、抑鬱系の克服を意味している。これは個人史のに由来しているのが大きい。