歩道橋を渡らなくなる年は政府に強制されるべきなのか(問題提起編)

 宮台真司の「援交から天皇へ」の国家論を読んで、
(表出側)鈴木邦男 (中間かやや表現側)宮台真司 (表現側)宇野常寛 という図式が頭に浮かんだ。まあこれは今後書くとして、本題へ移ろう。

 今日は雨が降っていた。友人宅から自宅へ帰ろうにも雨ガッパが無い。傘を差し、「ゆるみがちな宅浪の体には良いことだ」と数分おきに自分を納得させながら歩いていると、小学生の集団に出くわした。たまたま下校時間に重なったようだ。ストライクゾーンは中学生から、という俺には女子小学生などなんの魅力も感じないが(それでも十分ロリコンだよ)、車がはねた水をモロに被った怒りは彼らを見ていると多少和らいだ。横断歩道の前で赤信号を睨んでいると、小学生達は俺を越えて、少し向こうにある歩道橋へと歩を進めた。信号は青に変わり、横断歩道を渡りきって振り向くと彼らはちょうど階段を上りきったところだった。小学校の近くには歩道橋は多い。だが、横の横断歩道で事は足りるし、さして危険なわけではない。
 いつからなんだろう、と俺は思う。彼らはいつから歩道橋から横断歩道へと変えるのだろう。集団登下校システムのある小学校終了後、つまり中学入学以降だ。これは一例である。なんの例かというと小学校と中学校の間にある、深いまるで暗黒のような溝を説明するためのものだ。今日の午後10時〜NHKで「愛美さんが教室に戻れる日」と題した不登校特集がある。これに絡めて喋ろうと思い立ったのだ。

 俺は田舎に住んでいて、小中高と公立の学校に通った。レベルが低すぎる中学からギリギリ進学校の高校間にある溝はたしかにあったが、小ー中間の溝と比べればほぼ無いに等しい。小学校時代、俺と凄く親しかった友人2人の例をあげよう。1人目は運動神経が良く、優しい子だった。が、中学入学と同時に、タバコ、飲酒、教師への暴力、右翼の街宣車への搭乗、無免許運転 そして鑑別所 現在行方不明。2人目はお調子者で、ムードメーカーだった。が、中学入学と同時に、出る杭は打たれ、いじめの被害、対人恐怖症 そしてその後高校中退 現在行方不明。こういった例は挙げようと思えばまだまだある。
 そしてこういった中学3年間での急激な変化は第二次性徴だとか思春期だとか(中二病)といった理由だけで果たして全てを説明できるのであろうか。いや、俺はそうは思わない。一部はたしかにそうだが、公立中学の持つ重く息苦しい空気が主因であると主張したい。
(ゴーマンで間違いだらけの解決案編へ続く) 明日書きます。放送は絶対観ます