NHKスペシャルの不登校ドキュメンタリーを観て(問題提起編)

 まず前提として不登校という言葉が元は登校拒否という言葉であったことと、その名称が不適切なものだとして変更された経緯を確認する必要がある。wikipediaによれば学校嫌い、学校恐怖症という理由だけではないから、と記されている。が、僕が以前読んだ本と僕自身の考えによると、登校拒否はヤンキー型、分かりやすく言うと尾崎豊タイプの学校には縛られたくないとする自発的に学校を去るタイプを主に指して「登校拒否」と呼んでいた。しかし、そうではない抑鬱的、ひきこもりタイプの非自発的な(外因性による)理由で学校に「行きたくても行けなくなった」タイプが急増してきた。従来の登校拒否とは異なる種類(ニュータイプ)の彼らを主に指すために「不登校」という名称へと変更されたのである。
 で、現在問題行動を何度言っても直そうとしない生徒を強制的に学校の敷地内に入れさせない、というシステムが採択されたとどこかで読んだ。つまりこれは「登校拒否」タイプであるが学校に来ているもの、を排除するとうことだ。これは大いに結構なことだと思う。何故ならこのタイプの人種は学校外にコネクション(ちょいグレーな)を無数に持っていて、中卒であろうとも将来は安泰に暮らしてゆけるからだ。国益という観点から見てもなんら問題は無い。というより個人的にはむしろどんどん排除して欲しい。
 そこで問題なのは「不登校」タイプの人種への対応である。タイプの人種というか不登校生への対応だ。彼らはコネクションは一般的な生徒より大幅に少なく(場合によっては0)、しかも精神医学で対処しなければならない問題を抱えたものが多く、コミュニケーション能力、対人能力が無く、そして中卒という非常に不利な条件では将来仕事に付く事ができない可能性大なのである。国益という観点から見ると生活保護費が増大し、財政を圧迫する。
 全国で12万人を超えた不登校生の数、このうち「登校拒否タイプ」と「不登校タイプ」の比率は僕にはわからないが(お得意の妄想でいくと)不登校タイプのほうがかなり多く、そして毎年増加している不登校生もこちらのタイプがほとんどだろう。少子化でただでさえ将来労働力人口となる若年人口が減っているのに、その上そこからまた2.75%(H18年文部科学省調べ)の労働力が失われてしまい、また生活保護費を与えねばならないのだ。こういう即急に解決せねばならない事態の中、それを敏感に感じた戸塚ヨットスクールの校長戸塚宏は迷走なのか錯乱なのかわからないが、正義感に駆られてああいった行動を起こさざるを得なかったのだろう。彼を一方的に責めるわけにもいかないのだ。(とりあえずここまで)(歩道橋の話はまた次の機会で)